StckOverflowというQ&Aサイトをご存知だともいますが、英語版のサイトが本家で日本語版のサイトもあります.そして日本語版ではまずないのですが、DITAに関する質問も英語版サイトでは寄せられることがあります.私でもわかることがあるので、たま~に答えたりしています.以下その一例
この質問なんですが、match="*"のテンプレートをmatch="/*"のテンプレートから呼び出したいというちょっと変わったものです.でも解法はあるのもですから答えたのですが、コメントで「更に~するにはどうするか?」と聞いてくるので、回答はどんどん継ぎ足されて最後はなんとか収束しました.
実は良く言われているんですがStackOverflowはコーディング請負サービスではありません.あくまで問題解決の場であることが建前です.でもコメントが足されてゆくとこう考えるようになりました.「ああ、このDITA-OTを使っている開発者の人は孤独なんだなあ」ということです.
私の場合、現在は幸せにも同じ分野の仕事をやっている同僚がいますので、問題にぶつかった時Redmineでそれを共有すれば一人では考え付かない解決策がみつかることもあります.でもこの人は多分そうではなかったのでしょう.
こう考えると、この世界の中のどこかもわからない人と私とはStack Overflowという場を通じて細々とつながっていて、相手の人は誰にも頼れず、真剣に(私を頼って)コードを求めていたのです.これは可哀想なことです.DITAのユーザーならDITA UsersというYahoo!の場があって交流していますが、開発に少し特化したところは、Stack Overflowと、Googleのdita-ot-usersくらいしかないです.
思い返してみれば、私が初めてDITAに触れたのは確か2004年~2005年で、(現在の)JUST SYSTEMSのXMetaLがDITAに進出してそのときにバンドルするXSL-FOのFormatterを選ぶ際に仕事に駆り出されたのであったとと思います.その時は標準の2つのスタイルシートをAH Formatter(当時はXSL Formatter)ようにカスタマイズして結果を送ったのですがみじめにも競争相手に商機を取られてしまいました.
その後本格的な仕事としてやったのが2008年からで、海外経由のオーダーでした.まだDITAも1.1、DITA-OTも1.4(Saxon 6.5かXalan)というレベルで、XSLT 1.0で必死にスタイルシートを書いていました.この頃の悩みは日本にはどこにも問題解決の場がなかったいうことです.わからないことがあってもすべて自分で調べるしかない.技術的なコードのことなんか、dita-usersではちょっと相手にしてもらえない.仕方がないので当時のDITA-OTの開発者であったIBM上海のZhangさんという人になんとかコンタクトを取り、アドバイスを頂けました.またたまたま仕事を発注してくれたお客様の側のIA(Information Architecture)のレベルが非常に高く、いろいろ議論をしても脱線することがほとんどなかったことも非常に幸いでした.
10年たって自分が少しなりともDITAでお客さんの役に立てるようになったのも、いわばインターネットを通じてのDITA-OT(本体)の開発者の方であったり、ユーザーの方のおかげです.しかし今は日本にもDITAコンソーシアムが出来たり、Stack Overflowでも聞けたりと、良い時代になったものだと感じます.
最近たまに耳にするのが「日本ではDITAの開発ではなかなか食ってゆけない」というものです.収入が得られなければ他に仕事の機会を求めざるを得ず、DITAの仕事は興味から外れるでしょう.でもDITAの応用分野は広いので、勉強しても勉強してもきりがありません.例えばDITAからPDFを作り出すのでも
- DITA 1.3の知識
- DITA-OTの知識
- XSLTの知識
- XSL-FOの知識
- その他フォントや画像に関する知識、PDFそのものに対する知識、CMSの知識
と一通り知っていないと単なるプラグインのコーディングサービスになってしまいます.なかなかDITAという山を登るのはやりがいはありますが厳しく忍耐力が必要です.