KZ-Gedenkstätte Dachau: ダッハウ強制収容所

ミュンヘン中央駅からS2という近郊電車に乗りおよそ20分もしないダッハウという町に、第2次世界大戦時ドイツで最初の強制収容所が立てられました.これがダッハウ強制収容所です.ここはユダヤ人、ナチスに反対したドイツ人、ポーランド人、ロシア人が強制労働の名の元に収容されましたが、1945年4月にアメリカ軍に解放されるまで3万人を超える人が亡くなったところです.

昔、早乙女勝元さんの「わが子と訪ねた死者の森収容所」という本を読み、いつか自分の子とこのような旅が出来たら良いものだと思っていました.しかし、日々の暮らしで精いっぱいで、とてもそんな機会が訪れるべくもありません.たまたま昨年いただいた高校の友人からの年賀状に長男とドイツの強制収容所を訪ねたという写真があり、今回ミュンヘンに来られたので一日取って女房と一緒に行ってみました.

ダッハウの駅前のバスから726番のバスに乗り、7つ目のまさにKZ-Gedenkstätteというバス停で降ります.バス停のすぐ左側に入口があります.中にはインフォメーションセンターがあって、平日にもかかわらず大変な人で混み合っていました.日本からも多くの人が訪れて様子をWEBに書いているのを目にしますが、この日行ったときは日本人は私たちだけだったようです.

ここが強制収容所の南に面した入り口です.皮肉にも「自由のために働け」と彫られた格子が残っています.

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中に入ると広大な敷地の中に、様々な記念碑や建物があり、そして収容所棟が全部で20棟あったうち2つのみが復元されています.

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これが復元されていない収容棟の一つ18と書かれているのがわかります.奥はSS(ナチスの親衛隊)が見張りに使用していた監視塔です.この区画で定員250名.しかしアメリカ軍の解放時1600人が詰め込まれていて計3万人の囚人がいたということですから大変な状況だったのでしょう.

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私が敷地に入ってすぐ感じたのは、確実に過去に存在した多くの人の死を感じさせる何かあったということです.何故こんなに広いのかため息が出るほどでした.そして限りない静けさです.聞こえるのは小鳥の鳴き交う声、砂利を踏む人の足音、そして冷え冷えとした風のみでした.

以下は記念碑のモニュメントです.

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そして私がしみじみと考えさせられたのは、日本との違いです.日本で私が戦争という言葉で知らされてきたのは、被害者としての戦争体験がほとんどでした.広島・長崎への原爆投下、満蒙開拓団の悲劇、東京大空襲沖縄戦.それはそれで大変意味深いことです.一方ドイツは加害者としての記憶、まさに自分たちにとっては大変な負の遺産であるに違いないのですが、これを決して隠さず、積極的に後世に教訓として伝えようとしている姿勢が感じ取れました.

それは何故でしょうか?この日多くの人が訪れていましたが、それは観光客というより、多くが学校(たぶん高校生)の見学グループだったからです.いくつもの集まりが順に敷地内を巡り歩いて先生の説明に真剣に聞き入っていました.こういうカリキュラムがあたりまえのこととして行われているのでしょう.また施設全体の印象からも積極性を感じ取ることができます.

国家的レベルでの認識の違い、今回のダッハウ訪問はそれを身をもって感ぜざるを得ませんでした.国家的レベル、それは侵略戦争すらも認めず、戦争責任もないがしろにしてきた日本の為政者の側の問題だけではありません.私たち日本人の一人一人の清算しきれない問題でもあると思います.ダッハウ強制収容所ミュンヘンに行ったなら無理をしても行ってみる価値があると思いました.