学年でビリだったギャルが...

ちょっと脱線です.出張で横浜に行って時間つぶしに三省堂でたまたま平積みのこの本を立ち読みしました.

「学年でビリだったギャルが、1年で偏差値を40あげて日本でトップの私立大学、慶應大学に現役で合格した話」


概略が次にあります.読む価値あります.


引き込まれて読み始めたのですが、気が付いたらお客様との打ち合わせの時間!買わずにそのままにしていました.家に戻ってからやはり気になって地元の本屋に行ったら、やはりここでも平積みになっていたのですぐ買いました.

なかなか読ませてくれます.特に次のくだり(p.138)はそのとおりですね.

『ですから僕は、教師の役目は、純粋に「やっていて楽しい」を見つけてあげることかな、と思っています.
なので、生徒をしかったり、脅したり、悲しい思いをさせたりして、その感情を利用して何かを乗り越えさせようとする意味は無いわけなんです.そういう指導をしますと、勉強=不快、先生=不快と脳が認識するようになり、無意識のうちに、その不快な対象が発する情報を、脳が拒絶するようになりますので、子供や部下の作業効率は、むしろどんどん下がってゆくんです.

会社では、ここで「教師」を「リーダー」、「子供」を「社員・部下(メンバー)」に置き換えてみればよいでしょう.

そんなに単純ではないという声も聞こえてきそうです.確かに仕事と勉強は違います.そもそも会社は何はともあれ売り上げを上げなければなりません.

でもソフトウェア会社は技術的には優れていても指導者としては極めてイマイチの人が平気でメーリングリストでマイナスのメッセージを発信しているのを目にすることがあります.あるときは全員のメーリングリストでの失敗した人への名指しの批判であったり、開発者への「向上心なし」という切捨てです.彼らから見れば部下や社員は自分よりダメな技術者、イマイチの技術者として映っても、育てるべき大事な宝の原石、一緒に頑張らなければならないメンバーとは思えないのでしょう.

この本のカバータイトルにつぎのようにあります.

「ダメな人間などいません。」
「ダメな指導者がいるだけなのです。」

至言ですね.

私なんかは平社員ですけど、たまにはメンバーにいろいろ教えなければならないときがあります.そういう時は決してマイナスのメッセージは発しないようにしようと思います.いやこれもなかなか難しいのです.自分が理解するということと、人が理解できるように教えるということは別の能力です.相手の頭で考えてわかるように説明する、わかるようになるように導くというのはそういうことをちゃんと技術として習得しないと身につかないと思います.