原爆パネル展

ちよっとした機会があって原爆パネル展を見ました.長野県の松本なんですが、パネルはすべて英文ですので国連へ持っていったそれと思って間違いないと思います.
 
あるパネルの前で「なんだろう?」と思って立ち止まったのですが、解説を読んで思わず涙が出てくるのを止めることができませんでした.
 
解説には次のようにありました.
 
「1945年9月-佐世保から長崎に入った私は小高い丘から下を眺めていました.10歳くらいの歩いてくる少年が目に止まりました.おんぶ紐をたすき掛けにし背中に幼子をしょっています.この焼き場にやってきた強い意志が感じられました.しかも少年は裸足でした.焼場のふちに5分から10分ほど立っていたでしょうか.おもむろに白いマスクをした男たちが少年に近づき、ゆっくりとおんぶ紐を解き始めました.この時、私は背中の幼子が死んでいるのに気がつきました.幼い肉体が火に溶け、ジューと音がしました.まばゆい炎が舞い上がり、直立不動の少年のあどけない頬を夕陽のように照らしました.炎を食い入るように見つめる少年の唇には血がにじんでいました.あまりにもきつく唇を噛みしめているので、唇の血は流れず下唇を赤く染めていきました.炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼場を去っていきました.背筋が凍るような光景でした.
ジョー・オダネル(元米従軍カメラマン)」
 
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峠三吉の詩もありました.英文の方も迫力があります.
 
Bring back Father. Bring back Mother.
Bring back Grandmother, Grandfather.
Bring back the children.
Bring back me, all that I could have been.
Bring back those lives that made me human.
If the human race has
any humanity left, then bring
peace, abiding peace.
 
峠三吉の詩 "序"
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
 
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日本は広島、長崎、ビキニ環礁、そして福島.日本は四度の被爆国となりました.No More Nukes! 私たちの持つべき合言葉は一つではないでしょうか?